都立日比谷図書館、最後の日 後編
日比谷図書館が教えてくれたこと。
夕方5時に閉館予定の中、
閉館への業務で走り回る程忙しい樋渡さんが、
特別に館内ツアーをしてくれた。
古い建物の割りに、かなりモダンな造りをしている日比谷図書館。
3角形の建物を、閉架・開架室、その他 様々な資料室でうまいこと使われている。
和と洋の組み合わせも、妙に落ち着くのは時の重みなんだろうか。窓はなんと全て障子がついているし、
螺旋階段や、三角でめぐらされている鉄筋のハリも実にアートだ!
屋上に出れば、皇居の目の前というロケーションが美しい。昔は、この図書館の建物の高さにならい、近隣の建物も全て揃っていたという。
皇居を見下ろすようなビルをつくらないという暗黙の了解の元、
素敵なビューがのぞめたという。
(東京海上ビルが、そのルールを破ってからは秩序がなくなったようだが)
案内する樋渡さんのテンションもどんどん上がっていくが、
どこかしら、「それも今日で終わり」ということが、僕にせつない感情を呼び起こさせる。
数万点にも及ぶレコードコレクションや、(多摩へ移管)
既に本がなくなっている昭和32年式の書庫。
今までの取り組みの紹介など、話してくれた数々のエピソード。
館内の主要な場所すべて、鍵をこじあけて僕らを連れて行く
樋渡さんの 後姿がまぶしくて、追いかけるので精一杯だった。
はたして図書館がなくなるということは、何を意味するのだろうか。
「図書館が、普通にある」ということは、どんなことなんだろうか。
「これから樋渡さんはどうされるんですか?」とふと質問してみた。
しばらくは整理などで数ヶ月いますが、その後は他の部署へ行くんですよ、との返事。
他の部署ってなんだろうな、もしかして図書館ではない部署なんだろうか。樋渡さんは、都立の図書館で働いている為、都の職員ということになる。だからもちろん、どこへ異動になっても、制度上何もおかしくはない。だけど、日比谷図書館と共に歩んできた、この情熱あふれる司書(もちろん樋渡さんだけではないが)も、100年の歴史と共にそのチカラがクローズされてしまうのは、残念だなと思う。
本の貸し出し、ブックトーク、子育て支援、ビジネス支援、地域情報収集、移動図書館、レファレンス(調べもの)業務、各種勉強会、展示会などなど、図書館のサービスは多岐にわたる。
僕たちの暮らしの中の、様々な場面で、
ささやかだけれども大切なモノが、ここ図書館では生まれ育まれているのだ。
そこには、「時代性や地域性、文化」なんかも溜まっていって、
じいっと僕らのくるのを待ってくれていたりする・・・。
なんか、いいよね。
そういうの、僕は、好きだな。
ツアーを終えて、裏口からまた通常の館内に戻ってきた。館内はまだ最後の図書館のこのタイミングに駆けつけてきた人達の熱気にあふれている。
「あぁ、僕のニューシネマパラダイスは、図書館にあるのかもしれないな」、
そんな思いが僕の胸にわきあがってくる。
まさに今日、日比谷図書館100年の歴史の幕を閉じるこの日は、
映画の中の・・・、パラダイス座が閉まるときの・・・、あの世界観と同じものがある気がした。